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国指定史跡島原藩主深溝松平家墓所

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記事ID:0025411 更新日:2025年11月13日更新

島原藩主深溝松平家墓所が国史跡指定になりました!

 国の文化審議会は、平成25年11月15日に開催された同審議会文化財分科会の審議・議決を経て、島原藩主深溝松平家墓所を国史跡として指定することについて文部科学大臣に答申されていましたが、平成26年3月18日付けで、下村博文文部科学大臣より告示が出され、国史跡に指定されました。

東廟所の画像
東廟所

西廟所の画像
西廟所

指定対象の名称

 島原藩主深溝松平家墓所(しまばらはんしゅふこうずまつだいらけぼしょ)

指定対象の所在

 額田郡幸田町大字深溝字内山3番ほか20筆等

指定対象の面積

 50,136.53平方メートル

島原藩主深溝松平家墓所の概要

 島原藩主深溝松平家墓所は幸田町南部の深溝地域、その東側に広がる山間部に位置する瑞雲山本光寺(ずいうんざんほんこうじ)に所在する。瑞雲山本光寺は15世紀初頭に深溝の地に深溝松平家の菩提寺として創建された寺院である。
 深溝松平家は、江戸時代に十八松平家と称された戦国時代の松平氏の一家で、深溝を領地としたことからこのように称された。四代家忠(いえただ)まで深溝を領地とするが、家康に従って関東に移封する。その後、五代忠利(ただとし)が深溝西郡藩主として深溝を領地とするが、後に三河吉田藩主として移封され、六代忠房(ただふさ)の時代に三河刈谷藩主・丹後福知山藩主を歴任した後、肥前島原藩主(長崎県島原市)となり幕末を迎える。
 江戸時代の大名は、死後墓所を江戸及び領地に造ることが一般的であるが、深溝松平家は、幸田町深溝に所在する瑞雲山本光寺を歴代当主の遺体を納める菩提寺とし、五代忠利から十九代忠諒(ただあき)までの当主を、死没地に関わりなく、深溝の地まで運び埋葬するという特殊な方法を継承している。境内地に造られた墓所は西廟所(にしびょうしょ)と東廟所(ひがしびょうしょ)の2カ所に分かれ、西廟所には初代忠定(たださだ)から四代家忠までと、五代忠利・十一代忠恕(ただひろ)が葬られており、東廟所には島原藩主となって以降の六代から十九代までの当主と六代忠房正室が葬られている。このうち、初代から五代を除くすべての墓標が、同じ神殿型墓石となっている。これは六代忠房の神道への傾倒の影響によると考えられ、以後神道の思考に基づく墓所形態や埋葬方法が受け継がれており、江戸時代の大名の葬送儀礼を考えていく上で重要な資料である。

報告書の頒布について

  以下の事業の報告資料については中央公民館および郷土資料館窓口にて有償で頒布しています。発送による購入を希望される場合は、冊子価格に送料を加えた価格を事前に現金書留で納めていただくことになります。購入冊数やお住まいの地域によって送料が異なりますので、購入を希望される方は、事前に問い合わせお願いいたします。

 
書籍名 頁数

価格
(税込)

内容
『瑞雲山本光寺 松平忠雄墓所発掘調査報告遺構・遺物編』 350 3,100円

平成21年に行われた「小判のお殿様」の発掘調査報告書!

調査報告とともに、印籠や小判や1599ガラス杯等に関する論考が掲載されています。

『深溝松平家菩提寺 瑞雲山本光寺文化財調査総合報告』 486 3,600円 平成21年から4年間に渡って行われた文化財調査の学術調査報告書!深溝松平家の歴史、菩提寺本光寺に関する歴史が収録されています。

『史跡 島原藩主 深溝松平家墓所

-深溝松平家と瑞雲山本光寺-』

16 100円 島原藩主深溝松平家墓所と『深溝松平家菩提寺 瑞雲山本光寺文化財調査総合報告』の概要パンフレットになります。

松平忠雄墓所出土

祝婚青色ガラス杯調査報告

12 400円 松平忠雄のお墓から出土したヨーロッパ産ガラス杯を、考古学・保存科学・文献史学から調査・報告したものです。

 

史跡島原藩主深溝松平家墓所の調査

令和3年度

 幸田町では、現在、過去の自然災害で被害を受けた東廟所(島原藩主歴代墓所群)の整備に向けた情報収集のため、国庫補助事業として、墓所内の発掘調査を行いました。調査を進める中で、土中に埋もれていた過去の情報が明らかとなりましたので、ここで、調査の一端を紹介したいと思います。

墓所航空写真

◇調査の目的
今年の調査は、東廟所山門の両脇に築かれている石垣の倒壊状況や現存する石垣の組み方などの確認を目的としています。

◇調査の期間
令和4年2月初旬~2月末

◇調査で明らかになったこと

調査区R3-T1

⑴ 倒壊した、4段からなる石垣塀が確認されました。この石垣塀は、本来は直立しており、上には土塀が乗っていました。昨年度行った隣接の調査区でも、同様の倒壊した石垣塀が確認されていますが、これらの倒壊石垣は、三河地震の際の横揺れにより、倒れたものと考えられます。

石垣

(2) 石垣の基底石(一番下の段の石)の底部とその下に敷いてある平たい石が見つかりました。平たい石は石垣の水平調整のために敷いた根石(ねいし)の可能性も考えられます。

根石

令和5年度

 深溝松平家5代当主松平忠利が祀られている肖影堂は、寛永10(1633)年に建立されましたが、経年劣化や昭和20年に起こった三河地震により、建物のき損が進んでいました。そこで、安全性を確保するため、令和4年度から、解体修理工事が始まりました。建物の解体が終わり、基壇だけの状態になった令和5年度、現況の地盤がどうなっているかを知るために、7月19日から9月27日まで発掘調査を行いました。

発掘調査地全景 作業風景

調査区において、肖影堂創建時よりも後の時代に、外周の基壇を拡張したと考えられる痕跡が確認されたことから、元々の肖影堂が、今見る姿よりも一回り小さかった可能性が考えられます。また、松平忠利の墓壙(墓穴)の可能性が高い遺構が、肖影堂内の忠利坐像が安置されていた場所の真下付近から見つかりました。
瓦出土状況 松平忠利の墓壙と考えられる遺構

史跡島原藩主深溝松平家墓所の整備について

島原藩主深溝松平家墓所保存整備委員会

幸田町教育委員会では、国史跡島原藩主深溝松平家墓所の整備、保存等に関する協議及び検討を行うために島原藩主深溝松平家墓所保存整備委員会を設置し、文化財の専門家等による会議を開催しています。平成26年度に「保存管理計画」を策定、平成28年度は「整備基本計画」の策定をしました。

平成26年度 保存計画策定に至るまでの議事録

平成28年度 整備基本計画策定に伴う議事録

国史跡 島原藩主深溝松平家墓所保存管理計画について

幸田町では、国史跡 島原藩主深溝松平家墓所の歴史的変遷と価値を踏まえたうえで、将来にわたり保存管理していくための『国史跡島原藩主深溝松平家墓所保存管理計画』を平成27年3月に策定しました。今後も大切な地域の宝である島原藩主深溝松平家墓所の保存活用について、町民の皆さんと一緒に取り組んでいきたいと考えています。

計画書は幸田町立図書館、郷土資料館、中央公民館、地区公民館において閲覧できます。

『国史跡島原藩主深溝松平家墓所保存管理計画』は以下からダウンロードできます。

国史跡島原藩主深溝松平家墓所保存管理計画

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