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幸田町東京2020オリンピックホストタウン事業 第8回 ハイチ英雄列伝1 奴隷解放を実現した黒いナポレオン - トゥサン・ルヴェルチュール

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記事ID:0009923 更新日:2021年5月20日更新

第8回 ハイチ英雄列伝1 奴隷解放を実現した黒いナポレオン - トゥサン・ルヴェルチュール

ハイチの独立前後には、傑出した英雄が4名出ていますので、一人ずつ紹介していきたいと思います。

まず、ハイチ独立前に、黒人奴隷軍を指揮して、奴隷制度の廃止をもたらし、現在のハイチとドミニカ共和国のあるイスパニョール島全域の実権を握るまでになったトゥサン・ルヴェルチュールは、「黒いナポレオン」又は「黒いジャコバン」の異名を持ち、高校の世界史の教科書など、日本でも比較的紹介されているハイチの偉人です。トゥサンは、1791年の最初の黒人奴隷蜂起には参加していませんが、1793年には奴隷制度に反対する闘いの中心人物になっていました。イギリス軍とスペイン軍がサン・ドマングに侵攻した当初、トゥサンはスペイン軍と同盟しましたが、これは、奴隷制度の廃止を実現するためでした。当時のスペイン王カルロス4世は、フランス革命政府に処刑されたルイ16世と親戚関係にあり、スペイン軍を支援すれば、奴隷達に自由と土地を与える約束をしていたのです。

 
第8回図
トゥサンの肖像 ニコラウスタシュ・モラン、フランソワ・デルペシュ作

イギリスとスペインの侵攻で窮地に立たされたフランス植民地政府は、トゥサン軍を味方につけるために奴隷制度の廃止を発表し、フランス革命をもたらしたジャコバン派が多数を占めるフランス国民公会がこれを追認します(1794年5月)。もとよりフランス革命の理想に共鳴していたトゥサンは、これを知るとフランスこそがサン・ドマングでの奴隷制度の完全廃止をもたらす国であると判断し、スペイン軍を去ってフランス軍に加わり、イギリス軍とスペイン軍の島からの駆逐を実現します(1798年)。さらに、トゥサンは、英軍の降伏条約と、英軍の島からの撤退の秘密条約を交渉して署名した他、ジョン・アダムズ米国第二代大統領とも交渉し、一時停止されていた米国との通商関係の再開を実現します(1799年6月)。トゥサンは、国際社会において相手国と巧みに交渉した点で、独立後のハイチ指導者達よりも傑出していました。

トゥサンは、サン・ドマングの実権を握り、1801年に憲法を制定して、自らフランス植民地サン・ドマングの終身総督に就任します。この時、彼がなぜサン・ドマングの独立を宣言せずに仏植民地に留まることにしたのかは興味の尽きない点です。単に彼がフランス革命の思想に心酔していたからだけではないようです(この点については後述します。)。それに、当のフランス本国に目を転ずると、既に革命政府は倒され、1799年のクーデタによってナポレオン第一執政の時代に移っていました。そしてフランス本国の承認を得ない形の憲法制定はナポレオンの逆鱗に触れることになり、フランス遠征軍の派遣を招くことになります。

フランス遠征軍を指揮したルクレール将軍(ナポレオンの義弟)は、敗戦濃厚のトゥサンに対して、降伏・投降すれば農場に引退する自由を与える約束をしましたが、ルクレールはその約束を反故にします。トゥサンはだまし討ちに遭う形で拘束され、家族と一緒にフランスに追放されます。そして、トゥサンは、フランスのジュラ山脈のジュー城塞(Fort de Joux)に幽閉され、10ヶ月後の1803年4月7日に息を引き取るのです。

 

(本稿は執筆者個人の見方であり、外務省の見解を述べたものではありません。)

 

(参考文献)

「黒いナポレオンーハイチ独立の英雄トゥサン・ルヴェルチュールの生涯」ジャンルイ・ドナディウー著・大嶋厚氏訳

Les grandes dates de l’histoire diplomatique d’Haïti, Wien Weibert ARTHUS著

トゥサンの肖像画はNicolas Eustache Maurin作。Clark Art Institute, Williamstown, Massachusetts

 

追記2: 明治時代に日本に紹介されていたトゥサン

ハイチに関するいくつかの著作を執筆している浜忠雄氏は、「ハイチ革命とフランス革命」という著書の中で、日本で最初にトゥサンを紹介したのは、会津藩士で白虎隊の生き残りの柴四郎だったことを紹介しています(明治19年)。その4年後、雑誌「少年園」に収録された「黒偉人」では、トゥサンを「自由の大義に一身を擲ち、一国の独立を企て、英軍を降し、世の英雄ナポレオンをして、殆ど手を措くに至らしめたる一大英雄」として描いています。

欧米列強に肩を並べようと富国強兵に邁進していた明治時代、白人を打ち負かしたトゥサンの物語は、日本国民、とりわけ少年の士気を鼓舞するために格好の材料だったようです。

(参考文献)ハイチ革命とフランス革命 浜忠雄著 北海道大学図書刊行会 p213

 

水野光明在ハイチ日本大使の紹介
幸田小学校、幸田中学校卒。創価大学大学院経済学研究科中退。1991年外務省入省。外務省では、主に貿易、国際協力、条約、国連関係の仕事に携わり、海外は、ガボン共和国、フランス、コンゴ民主共和国、スイス(ジュネーヴ)、国連開発計画(ニューヨーク本部)で勤務。2018年12月から現職。


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