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幸田町東京2020オリンピックホストタウン事業 第3回 ハイチの国旗 - 団結は力なり
第3回 ハイチの国旗 - 団結は力なり
今夏の東京オリンピック競技でハイチ選手を応援したり、ハイチ選手団との交流を行って頂く際に、ハイチの国旗について知っておくことは有意義だと思いますので、ここで紹介したいと思います。
ハイチ共和国の国旗は、下のように、青と赤の上下2色の生地の中央にヤシの木と武器と「団結は力なり(L’Union fait la force)」と記された紋章が配置される形になっています。ここで,青は黒人、赤は「ムラート」と呼ばれる白人と黒人との間に生まれた混血の人々を意味しており、黒人とムラートとの団結によって独立を成し遂げたことをこの国旗は象徴しています。
ハイチの国旗 |
独立前のフランス植民地時代、白人の血を引くムラートは、自由人として所有権などの経済的権利は認められていたものの、フランスの参政権などの政治的権利は認められていませんでした。そうした中、1789年のフランス革命の自由、平等、博愛の思想に刺激を受けて、ムラート達はフランス市民と同じ権利を要求するようになります。そして、奴隷制度廃止という別の目的で戦っていた黒人奴隷との間で、フランス軍打倒と独立という共通の目標を持つようになります。
1803年5月18日、フランスからの独立戦争の最中に、黒人奴隷だったデサリーヌ将軍と、ムラートのペチョン将軍は、アルカエ(Arcahaie)の地で会い、解放軍のための旗を作ることを決めました。当時、フランスの国旗(三色旗)は、黒人(青)とムラート(赤)と白人(白)の3つを意味するものであるという誤解を与えたので、デサリーヌ将軍は白を取り除くことを主張しました。その結果、ハイチの最初の旗は、赤と青の2色に決まります。
その後、青が黒に変更されたり、中央の紋章が足されたりなくなったりと変更が繰り返され、1986年2月に現在の国旗の形に落ち着きました。
ギヨームギュイヨン・ルティエール作 「祖先の誓い」 モデルはデサリーヌとペチョンとされる。 |
ハイチでは、5月18日は「旗の日」という国民の祝日になっていて、毎年この日には、アルカエの地で大統領が記念式典を主催するのが通例となっています。
(参考文献)「ハイチ革命とフランス革命」 浜忠雄著 北海道大学図書刊行会
Histore d’Haiti Tome 1 1492-1915, Dr. Jean-Chrysostome Dorsainvil
パンテオン国立博物館に展示されているハイチ国旗の変遷コーナー。大使館撮影 |