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姉妹都市

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記事ID:0000262 更新日:2020年7月27日更新

長崎県島原市との姉妹都市提携について

平成29年10月11日、幸田町は町で初めてとなる姉妹都市提携を長崎県島原市と締結しました。

調印式は幸田町民会館と島原市の有明総合文化会館の両会場で同日同時刻に開催され、両会場をインターネットでつなぎライブ中継によりお互いの会場の様子が分かる形式で開催しました。

姉妹都市提携書

提携書.pdf[PDFファイル/447KB]

幸田町会場の様子の画像
幸田町会場の様子

島原市会場の様子の画像
島原市会場の様子

島原市と幸田町のゆかり ~380年の歩み~

 長崎県島原市と愛知県幸田町の歴史的なつながりは、380年前までさかのぼります。

 1637年に起こった島原の乱の際、深溝藩主板倉重昌(いたくらしげまさ)公が、総大将として島原に派遣されました。その2年後の1639年、幸田町高力にゆかりのある高力忠房(こうりきただふさ)公が、島原の乱で疲弊した領土の復興を幕府から託され、島原藩主として赴任し、島原半島の復興に携わりました。

 その30年後の1669年、深溝松平家六代当主松平忠房(ただふさ)公が、混乱した藩政を復興するために、島原藩主として赴任し、その後、忠和公まで13人の深溝松平家当主が島原藩主として島原を治めています。

 この両市町の歴史的なつながりを語るうえで欠かせないのが、「瑞雲山本光寺(ずいうんざんほんこうじ)」の存在です。本光寺は、両市町に建立されています。当主の転勤に従い移動してきた島原本光寺は、藩主の近くにおいて日々行われる先祖の菩提の弔いを行ってきました。一方、深溝本光寺には、初代忠定(たださだ)公以降、歴代深溝松平家当主の墓所が築かれています。赴任先で藩主が亡くなると、深溝の地に御遺骸が運ばれ、埋葬されました。その都度、島原から深溝へ関係者が訪れるとともに、参勤交代の途中で藩主が先祖の墓参りに立寄るなど、人々の交流もありました。

 平成26年10月の「松平家ゆかりのサミットin島原」開催の際、島原市と幸田町は「歴史と文化の友好交流推進に関する協定」を締結し、以降、それぞれの訪問団が相互に親善訪問を行うとともに、民間団体においても交流が深まり、この度の姉妹都市提携に至りました。

 

姉妹都市提携3周年 小崎侃版画展~長崎島原から平和を希求する~を開催します

 令和2年度は島原市と姉妹都市提携をして、3周年にあたります。それを記念して、島原市とゆかりのある画家・版画家の小崎侃(こざきかん)氏の版画展を開催します。数ある素晴らしい作品の中から、島原半島の風景や平和に関する版画を展示します。島原に思いをはせるひとときをお過ごしください。

【日時】

令和3年2月10日(水曜日)から令和3年2月13日(土曜日)まで

午前10時から午後4時まで

【場所】

幸田町民会館あじさいホール(幸田町大字大草字丸山60番地)

【その他】

・入場無料

・事前申し込み等は必要ありませんが、新型コロナウイルス感染症拡大防止のため、入場規制を行う場合があります。

・チラシ及び小崎侃(こざきかん)氏プロフィールはこちらをご覧ください。

 小崎侃版画展 [PDFファイル/819KB]

島原市のホームページ

島原市<外部リンク>

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