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幸田町東京2020オリンピックホストタウン事業 第15回 ハイチの国際社会への仲間入りの代償 - フランスへの賠償金支払い

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記事ID:0010464 更新日:2021年7月30日更新

第15回 ハイチの国際社会への仲間入りの代償 - フランスへの賠償金支払い

「21世紀の資本」など経済的格差に関する研究で有名なフランス経済学者トマ・ピケティ教授は、2020年1月、フランスは280億ドル(およそ3兆円)をハイチに返還する必要があると発言したことでハイチでも有名になりました。1825年、フランスは、ハイチの独立を認める代わりに賠償金の支払いを命じて、実際に支払わせました。植民地支配されていた国が、支配していた国に賠償金を支払うなんて話があべこべではないかと思われる方もいらっしゃると思います。今回は、この話について、ご紹介したいと思います。

フランスは、1804年のハイチ独立後も、できれば植民地支配を取り戻したいと考えていました。でも再び遠征軍を派遣するのは多くの犠牲を伴うので、威嚇を伴う交渉でそれを実現しようとします。

ルイ18世(ルイ16世の弟)は、アンリ王とペチョン大統領に使者を送ります。アンリ王は容赦なく使者を処刑しますが、フランス人の血を引くペチョンは使者と会い、独立の際に所有権を奪われたフランス人入植者に対する合理的な額の補償を約束します。ペチョンは、ナポレオンが1803年に米国にルイジアナ州を1,500万ドルで売却したのを踏まえて同じ金額を提案しますが、ルイ18世はこれを拒否します。

権威主義的なシャルル10世が王位を継承すると、1825年4月17日、フランスに賠償金を支払えばハイチの独立を認めるという王令を出し、12艘の戦艦を用いた砲艦外交によってハイチ大統領に「王令」への署名を迫ります。それは、1億5,000万フランを5分割で支払い、その支払いが完済した後に独立を認めるというハイチにとって非常に厳しい内容でしたが、当時のジャンピエール・ボワイエ大統領は署名に応じます。

 
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ボワイエ大統領の肖像:作者不詳

1億5,000万フランは当時のハイチの年間国内総生産(GDP)の3倍の額に相当しました(注)。ハイチは、一回目の3,000万フランを支払うにもフランスの銀行に全額融資してもらう必要がありました。加えて、融資手数料(20%)の600万フランを支払うために、ボワイエ大統領は、国内のほぼすべての金貨と銀貨をかき集めなければなりませんでした。フランスはサン・ドマングが繁栄した植民地時代の幻想に引きずられ、明らかにハイチの経済力を過大評価していました。フランス人入植者の国外脱出、その後の土地分割と内戦による農地荒廃によって、ハイチはかつてのように砂糖を輸出する能力を失っていたのです。

さすがに、ボワイエは1826年に二回目の支払いを拒否します。彼はフランスに再交渉を請い、1838年についに残額1億2,000万ドルを6,000万ドルに減額し、30年払いとする譲歩を得ます。同年、ハイチはようやくフランスから独立承認を勝ち取りました。英国、スウェーデン、オランダ、デンマークが直ちにハイチを承認して国際社会の仲間入りを果たします。しかし、その代償はあまりにも大きいものでした。ハイチ政府は、これ以降、毎年国家歳入の約半分を賠償金返済に充てることになったといいます。対仏賠償金返済は1883年に形式的には完了しますが、高利の手数料・利子率の支払いを最終的に完済できたのは第二次世界大戦後の1947年でした。実に完済まで122年を要したのです。

時は流れて2003年4月7日、アリスティド大統領(当時)は、フランスに対して賠償金相当額の217億ドルの返還を要求して、フランスを驚かせます。この賠償金問題は、過ぎ去った過去の話ではないと問題提起したのです。

2010年のハイチ大震災直後にサルコジ仏大統領(当時)が仏元首として歴史上初のハイチ訪問を果たします。そこでサルコジ大統領は、ハイチに3.26億ユーロの支援を約束します。これには0.56億ユーロの債務帳消しと2年間で1億ユーロの拠出が含まれました。

2015年5月、オランド仏大統領(当時)は、ハイチを訪問し、フランスはハイチに「借金」を返済する、返済を教育分野に投資するとして1.3億ユーロを約束し、まず0.5億ユーロを拠出しました。しかし、その次の訪問先のグアドループでの演説で、借金というのは(法的な、資金的な意味ではなく)「倫理的な借金」の意味だったと釈明しています。

(注)昨年、ピケティ教授が返還額を280億ドルとしたのは、現在のハイチのGDPの96憶ドル((2017-2018年度数値)を3倍にして導き出したものです。

 

(本稿は執筆者個人の見方であり、外務省の見解を述べたものではありません。)

 

(参考文献)

  • Les grandes dates de l’histoire diplomatique d’Haiti, Wien Weibert ARTHUS (アルテュス著「ハイチ外交史の重要な日」。)
  • 2020年1月20日付Le Nouvelliste紙 « Au minimum, la France devrait rembourser plus de 28 milliards de dollars américains à Haïti aujourd’hui », soutient le célèbre économiste français Thomas Pikettyと題する記事。
  • 2020年7月1日付Le Nouvelliste紙 «Quand la France a extorqué Haïti – la plus grand casse de l’histoire»
  • Haiti et la France 1804-1848 Le rêve brisé (「ハイチとフランス1804-1848年敗れた夢」の意味)Jean François Brière著

ボワイエの肖像画の出典は、フリー百科事典「ウィキペディア」から

 

水野光明在ハイチ日本大使の紹介
幸田小学校、幸田中学校卒。創価大学大学院経済学研究科中退。1991年外務省入省。外務省では、主に貿易、国際協力、条約、国連関係の仕事に携わり、海外は、ガボン共和国、フランス、コンゴ民主共和国、スイス(ジュネーヴ)、国連開発計画(ニューヨーク本部)で勤務。2018年12月から現職。


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