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幸田町東京2020オリンピックホストタウン事業 第12回 ハイチの魅力 - メタルアート:ハイチ芸術文化の次世代への継承に向けた努力

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記事ID:0010429 更新日:2021年6月30日更新

第12回 ハイチの魅力 - メタルアート:ハイチ芸術文化の次世代への継承に向けた努力

ハイチには、廃材の金属を使って芸術作品を創り出すいわゆるメタルアートがあります。主に石油製品の容器として使われた55ガロン(約208リットル)ドラム缶の廃材を利用します。まずドラム缶を火にかけて表面の塗料を取り除き、解体して平らに伸ばして鉄板にします。その鉄板にチョークで下絵を描き、下絵に沿って切り抜き、彫刻の要領で細かい装飾を施して、磨きをかけ、最後にニスを塗って完成させます。

 

1953年、ハイチ芸術センター(le Centre d’Art)創設者のアメリカ人デウィット・ピーター(DeWitt Peter)が、当時鍛冶職人だったジョルジュ・リオトー(Georges LIAUTAUD) が制作したお墓を飾る金属製の十字架を見て彼の才能に魅了され、鍛冶屋を辞めて芸術作品の制作に専念するように勧めました。その年、彼は芸術センターのメンバーになり、他の芸術家との交流に刺激されて、新しい技術を習得していきます。彼は,切り抜き(デクパージュ)がしやすいという理由で鉄板を多用するようになったことで、今のハイチにおける廃材のドラム缶を利用するメタルアートの基礎になりました。

リオトーがアトリエを構えた首都近郊クロワ・デ・ブケ地区のヴィラージュ・ド・ヌアイユ(Village de Nouailles:ヌアイユ村)には若者達が集まり、各々が自分のアトリエを構えました。盛んな時には約60のアトリエができ、600名の職人が作業したといいます。

残念ながらこの地区の治安が悪化して、多くの住民、とりわけ若者がこの地区を去ったために、メタルアートは現在衰退の危機に直面しています。このハイチの芸術文化をなんとか次の世代に引き継ごうと、映画監督のアントナン氏(次回で取り上げます。)がドキュメンタリー映画を制作したり、2020年から有望な若手アーティストにリオトー賞を授与したり、文化センターFOKALがメタルアート展を開催したりしてその文化の保存に尽力しています。

 
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ビアンネメの作品:筆者撮影

6月初旬に、デュフォー邸というジンジャーブレッド様式(参考参照)の建物で、FOKAL主催のメタルアート展が開催されたので、私も訪問してきました。現在、ハイチ・メタルアート界をリードする芸術家のジョリモー(Serge JOLIMEAU)、ビアンネメ(Gabriel BIEN-AIME)、レミ(Jean Eddy REMY)をはじめ、2020年リオトー賞受賞者の作品が展示され、若手アーティスト自身が熱心に作品を説明してくれました。

 

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レミの作品:筆者撮影

現在は、日本でも通信販売でハイチのメタルアートを取り扱うサイトができているようです。

 

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案内してくれた若手アーティストのファレーズ君(左)とジェルマン君(右)と彼らの作品:筆者撮影

(参考) 

ハイチ文化センター(Le Centre d’Art) のホームページ 

https://www.lecentredart.org/?lang=en<外部リンク>

文化センターFOKAL(Fondation Connaissance et Liberté)のホームページ

https://www.fokal.org/index.php/en/<外部リンク>

ジンジャーブレッド様式建築については、私の前任の八田善明前ハイチ大使の「ハイチ便り」をご覧ください。

http://www.apic.or.jp/projects/haiti005.html<外部リンク>

 

 

水野光明在ハイチ日本大使の紹介
幸田小学校、幸田中学校卒。創価大学大学院経済学研究科中退。1991年外務省入省。外務省では、主に貿易、国際協力、条約、国連関係の仕事に携わり、海外は、ガボン共和国、フランス、コンゴ民主共和国、スイス(ジュネーヴ)、国連開発計画(ニューヨーク本部)で勤務。2018年12月から現職。


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