長崎県島原市との姉妹都市提携について

平成29年10月11日、幸田町は町で初めてとなる姉妹都市提携を長崎県島原市と締結しました。

調印式は幸田町民会館と島原市の有明総合文化会館の両会場で同日同時刻に開催され、両会場をインターネットでつなぎライブ中継によりお互いの会場の様子が分かる形式で開催しました。

 

姉妹都市提携書

提携書.pdf [447KB pdfファイル] 

 

▲幸田町会場の様子

 

▲島原市会場の様子

 

島原市と幸田町のゆかり ~380年の歩み~

  長崎県島原市と愛知県幸田町の歴史的なつながりは、380年前までさかのぼります。

  1637年に起こった島原の乱の際、深溝藩主板倉重昌(いたくらしげまさ)公が、総大将として島原に派遣されました。その2年後の1639年、幸田町高力にゆかりのある高力忠房(こうりきただふさ)公が、島原の乱で疲弊した領土の復興を幕府から託され、島原藩主として赴任し、島原半島の復興に携わりました。

  その30年後の1669年、深溝松平家六代当主松平忠房(ただふさ)公が、混乱した藩政を復興するために、島原藩主として赴任し、その後、忠和公まで13人の深溝松平家当主が島原藩主として島原を治めています。

  この両市町の歴史的なつながりを語るうえで欠かせないのが、「瑞雲山本光寺(ずいうんざんほんこうじ)」の存在です。本光寺は、両市町に建立されています。当主の転勤に従い移動してきた島原本光寺は、藩主の近くにおいて日々行われる先祖の菩提の弔いを行ってきました。一方、深溝本光寺には、初代忠定(たださだ)公以降、歴代深溝松平家当主の墓所が築かれています。赴任先で藩主が亡くなると、深溝の地に御遺骸が運ばれ、埋葬されました。その都度、島原から深溝へ関係者が訪れるとともに、参勤交代の途中で藩主が先祖の墓参りに立寄るなど、人々の交流もありました。

 平成26年10月の「松平家ゆかりのサミットin島原」開催の際、島原市と幸田町は「歴史と文化の友好交流推進に関する協定」を締結し、以降、それぞれの訪問団が相互に親善訪問を行うとともに、民間団体においても交流が深まり、この度の姉妹都市提携に至りました。

 

 島原市のホームページ

 http://www.city.shimabara.lg.jp/